練習:とりあえず走る、とりあえず書く

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サラリーマンランナーは、自由だ。

練習時間をいつ取るかも自由だし、どんなメニューをやるかも自由。
ブログを書くなら、どんな文体にするか、どこまで推敲するか、そもそも出すか出さないかも全部自由だ。

自由であるがゆえに、幅もあるし、クオリティにも正解がない。

たとえば練習。
とりあえず走れば「今日は練習した」と言える。
一方で、大会に向けてペースを決めたり、強度の高い練習を入れたり、自分の可能性を追い求めることもできる。

どれも間違いなく練習だ。
でも、どこまでやるかは人それぞれで、その線を引くのは他人じゃなくて自分自身だ。

文章も同じだと思っている。

出来事をそのまま書く。
考えがまとまらないまま、とりあえず出す。
本当はもう少し言語化したいけど、時間がなくて妥協して発信する。

そんな記事も、確かにある。

最近は、時間がないときに、構成や言い回しをAIに相談することもある。
ゼロから全部任せるわけじゃないけれど、
頭の中にあるモヤっとしたものを、形にする手助けをしてもらう。

それもひとつの選択肢だと思っている。
走れない日に完全オフを作るのと、どこか少し似ている。

一方で、構成を考えて、言葉を選んで、何度も読み返して、
「これはちゃんと伝わるだろうか」と悩みながら出す文章もある。






どちらが正しい、という話ではない。
練習と同じで、どこまでやるかを決めているだけだ。

サラリーマンであることは制約でもあるけれど、
同時に「何を優先するかを自分で決められる」という自由でもある。

今日は走らない、という選択もできるし、
今日は最低限だけ書いて出す、という選択もできる。

それでも続けていく意味は、確かにあると思っている。

走り続けることで、体の変化がわかるようになるように、
書き続けることで、いい文章とそうでない文章の違いがわかるようになる。

何を伝えたいのか、どこが足りなかったのか、
少しずつ自分の価値観が固まっていく。

伝える力が、ほんの少しずつ上がっていく。

完璧な一本を毎回出すことはできない。
でも、続けることでしか得られない感覚がある。

それはランニングと同じだ。

うまく走れない日があっても、
うまく書けない記事があっても、
それでも「続けること」自体に意味がある。






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