雑談:DNSも、次に繋げるひとつ

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レースに向けて準備をしていると、
DNS(Did Not Start)の話を目にすることがある。

身近なところでは、どうしようもないケガや体調不良でのDNSが多い。
それについては、致し方ないと感じる人がほとんどだと思う。

一方で、天候が悪かったとか、なんとなく起きられなかった、
そんな理由でDNSする人もいる、と聞くことがある。
エントリーしている以上、出るか出ないかを決めるのは本人の自由だ。
それでも、どこかに「やめること」への引っかかりが残る。

自分も、DNSするときには少し後ろ髪を引かれる。
それは大会に対して特別な思い入れがあるから、
というより、レースに向けて準備してきた時間が、
結果にたどり着かないと分かった瞬間の、あの感覚のせいだと思う。

DNSが決まったとき、
いったん宙に浮いたような気分になる。
行き先を失った練習や生活リズムが、その場に取り残される。






ただ、今の自分は、レースに対して以前ほど前のめりではない。
走ること自体がどうでもよくなったわけではないけれど、
少し距離を置いて考えられるようにはなってきた。

実際、どうにもならない事情でレースに出られなかったり、
途中でリタイアせざるを得なかった経験をすると、
ふと、こんなことを思うことがある。

「なんで、あんなにこだわっていたんだろう」

それまでの自分は、
走り切ることが前提で、途中でやめる選択肢がない世界で
生きてきたような気さえする。
DNSやDNFが、どこか容認されないものとして、
無意識に刷り込まれていたのかもしれない。






世間ではよく、「やる後悔」「やらない後悔」という言葉を聞く。
でも正直に言えば、自分はDNSやDNFで後悔したことは一度もない。

悔しさはあるし、残念さもある。
それでも、「あの判断は間違っていた」と思ったことはない。

練習のやりすぎで体を崩したなら、
それは過程を見直すきっかけになるし、
本当にどうしようもない理由なら、
世界は自分の思い通りにはならない、という事実を
あらためて受け取っただけだ。

DNSは失敗ではない。
少なくとも、自分にとってはそうだ。

結果が出なかった、という一点だけを切り取れば
何も残らなかったように見えるけれど、
経験としては、ちゃんと次に繋がっている。

DNSも、次に繋げるひとつ。
それぐらい軽く、言い切ってしまっていいような気がする。




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