【はじめに】
勝田マラソンが終わったあと、タイムラインを眺めていたときのことだ。
ある人が、こんな趣旨の投稿をしていた。
タイムラインを見ていると、
サブ3とかサブ4の人しか走っていないように見える。
それを見て、思わず「たしかに」とうなずいた。
言われてみれば、流れてくる完走報告はやたら速いものが多い。
サブ3。
サブ3.5。
よくてもサブ4。
PB更新の報告が並び、レース写真の表情もだいたい余裕がある。
これはもうマラソン大会じゃなくて、エリート選手権なのでは?
と、一瞬だけ本気で思った。
もちろん、そんなわけはない。
実際に走っていれば、スタート前からいろんなスピードの人がいることはわかっている。
それでも、タイムラインだけを見ていると、
なぜか「速い人だけが走っていた」ように見えてしまう。
なぜ、こんな見え方になるのか。
マラソン大会は本当に、速い人ばかりなのか。
この記事では、
タイムラインに映るランナー像が偏って見える理由について、
整理してみたい。
【違和感】マラソン大会、速い人しか走ってない説
タイムラインだけを見ると、
完走報告=だいたいサブ4以内、という印象を受ける。
実際に走った身としても、
「え、こんなに速い人ばっかりだったっけ?」
と感じてしまう瞬間はある。
ただ、これは冷静に考えると不思議な話でもある。
なぜなら、自分が見ているのは、
だいたい自分と近いタイム帯の人たちだからだ。
同じブロック、同じペース感覚、
同じくらいの練習量。
そういう人たちが「普通」に見える。
でも大会結果をあらためて眺めてみると、
実際にはもっと幅広いタイムのグラデーションがある。
速い人もいれば、ゆっくり積み重ねてゴールした人もいる。
現地の光景と、タイムラインの印象が食い違う。
この時点で、見えている世界に偏りがあることがわかる。
【理由①】速い人ほど発信しやすい
まず大きいのは、
速い人ほど「発信しやすい結果」を持っているという点だ。
サブ3達成
PB更新
狙っていた目標タイムのクリア
こうした結果は、語りやすい。
写真も撮るし、ラップも貼るし、レース展開も振り返れる。
一方で、
目標には届かなかったけれど完走はした、
思うような走りではなかった、
というケースでは、発信の動機が弱くなりやすい。
これは能力や価値の問題ではなく、
物語としての書きやすさの違いだ。
結果として、
タイムラインには速い人の声が多く残る。
【理由②】ランニング界隈は、似た者同士で固まりやすい
もうひとつ大きいのが、
ランニング界隈の「親和性」だ。
サブ3を目指す人は、
同じような目標を持つ人をフォローする。
投稿内容も、練習量、ペース、補給の話が中心になる。
するとタイムラインは、
自然と「自分と近い走力の人」で埋まっていく。
SNSの仕組みも、それを強化する。
よく見る投稿、反応する投稿に似た内容が、
さらにおすすめされる。
その結果、
速い人を多く見ている人ほど、速い人しか見えなくなる。
【理由③】目標に届かなかった人ほど、発信が控えめになる
もうひとつ、見落としがちだけど重要な点がある。
それは、
目標を達成できていないほど、発信が控えめになるということだ。
完走はした。
でも目標タイムには届かなかった。
後半は失速した。
そんな状態でSNSを開くと、
PB更新や好タイムの投稿が並んでいる。
この状況で、
あえて自分の結果を発信しようと思う人は、そう多くない。
別に誰かに責められるわけではない。
ただ、自分の中で「語る気分にならない」だけだ。
結果として、
タイムライン上では
目標を達成した人の声が、相対的に大きくなる。
【結論】タイムラインは、マラソン大会の縮図ではない
マラソン大会に、速い人しかいないわけではない。
ただ、タイムラインに現れやすいのが速い人なだけだ。
発信しやすい結果があり、
似た人同士がつながり、
控えめな声は目に入りにくくなる。
それが、レース後のSNSで起きていることだ。
タイムラインを見て、
「自分だけ遅いんじゃないか」
「この大会、レベル高すぎないか」
と感じたとしたら、
それは見えている世界が偏っているだけかもしれない。
実際の大会結果には、
もっと多様なランナーが、ちゃんと並んでいる。
少なくとも、
マラソン大会はエリート選手権ではない。
そう見えてしまうとしたら、
それはタイムラインの性質によるものだ。

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