恋の予感で終わるランニングCMは、何を伝えたいのか
ランニングのCMやドラマには、
走り続けた先に、ちょっとした出会いの気配を残して終わるものが多い。
犬の散歩をしている女の子とすれ違うとか、
毎朝なんとなく顔を合わせる相手がいるとか、
はっきり恋が始まるわけでもない、あの曖昧な終わり方。
あれはもしかすると、
「継続すれば、新しい出会いがある」
というメッセージなのかもしれない。
そしてその新しい出会いは、
タイムが縮むとか、体重が減るとか、
そういう数値で示される成果ではなく、
感情で分かる、目に見える変化として描かれている。
恋の予感で終わるのは、
継続の価値をいちばん分かりやすい形で伝えるためなんだと思う。
新しい出会いは、努力の報酬として分かりやすい。そして、なぜそれがランニングなのか
「生活が整う」とか
「人生が前向きになる」と言われても、
正直、あまりピンとこない。
でも、
毎朝走っていたら誰かと出会った。
何気ない会話が生まれた。
そこに少しだけ期待が混じった。
そう言われると、一気にイメージしやすくなる。
新しい出会いは、
継続の結果として提示できる、かなり分かりやすい報酬だ。
では、なぜその継続の例として、
ランニングがよく選ばれるのか。
ランニングは、
特別な道具がいらず、
一人で始められて、
毎日できて、
しかも外に出る。
早起きして外を走っている、
それだけで、
時間管理や生活リズムが
ある程度うまくいっていることが伝わる。
ランニングは、
「継続できている人生」を
説明なしで表現できる行為として、
とても都合がいい。
じゃあ現実はどうかというと
ほぼ毎朝、犬の散歩もしているし、ランニングもしている。
それでも、そういう出会いは特にない。
出会えるのは、
近所のランニング仲間にすれ違えるくらい。
犬の散歩中も、
同じように散歩している近所の人と
挨拶を交わす程度だ。
なので、新しい出会いを求めて
ランニングや犬の散歩をおすすめするかと言われると、
正直おすすめはしない。
ただ、それは
毎朝同じコースを走っていないから、
という理由も大きい気がしている。
現実のランニングは、
今日はゆっくり、明日は刺激、
疲れていたら短縮、気分で逆回り。
毎朝、同じ時間に同じ場所を走るほうが、
むしろ不自然だ。
もしかしたら、
毎朝きっちり同じコースを走っていれば、
出会いは転がっているのかもしれない。

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