雑談:ランニングクラブは“映え”なのか、それとも居場所なのか

653ee37f-2443-483e-bb53-402ffef30988.png

先日、Runner’s Worldの記事
「Why Running Clubs Are Thriving Today」を読んだ。

いまアメリカでは、ランニングクラブが急増しているらしい。
しかもその広がり方が、これまでとは少し違う。

背景にあるのはSNSだ。

InstagramやTikTok、Strava。
揃いのウェア、集合写真、ナイトランのライトの列。
走ったあとのコーヒーやドーナツまで含めて、
「走ること」そのものが一つのカルチャーとして発信されている。

だからこそ、こんな声も出ているという。

あれは“映え”のための集まりではないか。
歩道を占領して迷惑ではないか。
「誰でも歓迎」と言いながら、実際は速い人中心ではないか。

批判はゼロではない。

それでも記事は、ランニングクラブの広がりを肯定的に捉えていた。

2024年、アメリカのランニング人口は高水準に達している。
クラブの存在が「走るきっかけ」を増やしているのは確かだという。

しかも、クラブの形は一つではない。

ロサンゼルスでは、何百人規模で集まる大規模クラブがあり、
デンバーには少人数でゆるく走るグループがある。
ボストンには社会的なメッセージを掲げるクルーもあり、
走ったあとにドーナツを食べることを恒例にしているクラブまである。

速さだけが軸ではない。

「どんな空気をつくりたいか」でクラブが存在している。

記事が最後に強調していたのは、
クラブそのものよりも、参加する側の姿勢だった。

公道を使うなら配慮すること。
速さや装備でマウントを取らないこと。
周囲と共有する意識を持つこと。

問題は“クラブかどうか”ではなく、
どう振る舞うかだ、と。

なるほどと思った。

いまの自分は基本ひとりで走っている。
神奈川に引っ越してからは、ほぼソロランだ。

でもこれまで、いくつかのランニングサークルやクラブに所属してきた。
いまも「リスペクト」というサークルに籍はある。
主体が埼玉なので、いまは一緒に走る機会はほとんどないけれど。

クラブにいた時間があったからこそ、わかることもある。

情報が集まること。
刺激をもらえること。
そして何より、「走るのが当たり前になる空気」。

ひとりで走る自由は、やっぱり好きだ。
ペースも距離も、誰にも合わせなくていい。

でも、走る人が増える流れは悪くない。

ランニングは孤独でもできる。
けれど、孤独である必要はない。

ランニングクラブは“映え”なのか。
それとも居場所なのか。

たぶん、どちらも正しい。

自分は明日もひとりで走ると思う。
それでも、どこかで誰かが集まって走っている風景があるのは、
それはそれで、ちょっといい。

引用元URL:No, Run Clubs Didn’t Ruin Running. Everyone Just Got So Weird About Them.




PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 その他スポーツブログ トレイルランニングへ
にほんブログ村

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック