第三章 直線の川へ
矢上川は、住宅街のあいだを流れている。
丘陵の尾根を辿ってきた身体にとって、その川沿いの直線はあまりにも素直だった。
トレイルは住宅地に入るとアスファルトに変わり、足元は急に平らになる。
それまで続いていた細かなアップダウンが消え、視界の奥まで道がまっすぐ伸びている。
川沿いでは、犬を連れて散歩する人、釣り糸を垂らす人の姿がある。
生活の時間が、川と同じ速さで流れていた。
尾根の「立体」に対して、ここは徹底した「水平」だった。
走りやすい。
呼吸も整う。
身体は均された路面に預けられる。
やがてその直線は、大きな流れへと吸い込まれていく。
鶴見川だ。
川幅が広がり、土手のスケールが変わる。
末吉橋で土手を離れ、再び住宅街へ入る。今度は駅に隣接した街だ。信号が増え、人の往来も増える。相鉄線の線路沿いを走りながら、知っているはずの駅名を、知らない土地として通り過ぎていく。
走ることでしか見えない川崎が、まだ続いている。
ちょっと夕方になり、寒くなってきたような気もする。
第四章 海へ、そして工場へ
京急を越え、国道15号に出る。
ああ、川崎に来たな、と思う。
車の流れ、道路の幅、空の開け方。それまでの住宅街とは明らかに質が違う。
そして、いよいよ湾岸地帯へ向かう。
川崎といえば工場地帯を思い浮かべる人も多いだろう。
この街の歴史は、海と工場とともにある気がする。
最初はこれまでと変わらない住宅街が続く。
やがて倉庫が増え、建物の高さが変わり、そして工場が広がってくる。
人通りは減り、巨大な建造物が視界を占める。
配管、煙突、無機質な壁面。生活の匂いは薄れ、機能だけがむき出しになる。
頭の中の地図では、湾岸地帯はそれほど大きくなかった。
しかし実際に走ってみると、その広がりは想像以上だった。
本当に広いのか。
疲れてきてペースが上がらないからそう感じるのか。
予定より押している焦りかもしれない。
暗さが増しているからかもしれない。
景色は広がっているのに、時間は縮まっていく。
やがて、鶴見線の終点、浜川崎に辿り着く。
湾岸地帯の、ひとつの終着点だ。
第五章 帰路の光
青看板に見慣れた地名が現れ、道路が帰路を示す。
いったん土手へ出る。川崎側の土手を走るのは初めてだった。
暗がりの向こうに、整然と並ぶホテルやマンションが見える。
再開発された地域なのだろうか。
さきほどまでの工場地帯とは、同じ川沿いとは思えないほど質感が違う。
土手は直線的だが、街灯はない。
ハンドライトを握り、足元だけを照らして進む。
ふと振り返ると、夜景が広がっている。
光の粒の向こうに、さっきまで走っていた工場地帯がある。
それは別れの風景だった。
多摩川にかかる橋は多くない。どれも大きい橋なので、遠くからでも輪郭がわかる。
まずは国道1号線にかかる橋を目指して進んでいく。
そこまで来れば、湾岸地帯とは終わりだ。
あとは、よく練習で走った道。
身体が覚えている道を、ひとつひとつ確かめるように進む。
そして、ゴールした。
105kmは、ひとつの円になった。

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